聖者の言葉(真理を示す)

マハルシ、マハラジ、パパジ、仏陀、イエス、、、たったひとつの真理を多様な表現で語る聖者たちの言葉を抜粋しました。(一部簡約)

「私」とは誰か?

maharusi

マハルシ

人は眠りから目を覚ますと
そこに気づきの光が現れます
自我が現れるまでそれは特定されません

この目覚めの瞬間は通常1分ほど続き
気づかれないまま過ぎていきます

それが特定化や区別化されるのは
自我が入り込み個人が「私」と言うときです

まず身体と「私」が同一視され
それからそれ以外のすべてが続くのです

あなたは「私」を直接知覚しますか?と
尋ねると混乱してしまいます

なぜなら「私」は目の前にある
対象物としてそれ自身を
告げたりしないからです

人々は感覚をともなった知覚だけが
知識であると認識していました
そして神が牛に乗った光輝く存在として
目の前に現れることを願っているのです

そのようなヴィジョンには始まりがあり
終わりがあります
それゆへそれは一時的なものです

聖典には「私たちの光はいつも内奥から
輝きだしているのだ!
清らかな心で神の中に生きなさい!」

これが直接的知覚です。
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質問者
今はそのような区別を見ていますが
眠りの中では見ません
だからといってそれが現在起こっている状態を
変えることはないのです

maharusi
マハルシ

主体が不在にときに
対象物が存在するでしょうか?

質問者
対象の存在は主体から独立しています

マハルシ
それらが存在すると言うのは
あなたでしょうか?それとも
対象物があなたのとろに来て
自ら存在を宣言するでしょうか?
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質問者
階級制度による差別は
必要なものでしょうか?

maharusi
マハルシ

誰がそのような差別を見ているのでしょうか?
見いだしなさい

質問者
このアーシュラマムで
差別が起こっているのを見たのです
おそらくバガヴァーンの承認なしに
他の者たちが区別をつけるようになったのです

マハルシ
他者について語るのは誰なのでしょうか?
眠りの中であなたは他者を見たでしょうか?

なぜ今区別に気づいて悩まされなければ
ならないのですか?

眠りの中にいたときのあなたのように
在りなさい。
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maharusi
マハルシ

あなたはあなたが存在していることを
知っています

いかなるときも自分の存在を
否定することはできません

否定するにもあなたがそこに
いなければならないからです

これは心を静かにすることによって
理解されます

心とは個人の外向的な機能です

もし内面に向えば
心はやがて静かになり
「私は在る」だけになります

「私は在る」が全真理なのです。
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質問者
私は形而上学に興味を抱いてきました
しかし多くの人たちが宣言するような
数奇な体験を得たことがありません
私には透視能力や透聴能力もありません
ただこの身体の中に閉じ込められている
だけのように感じるのです

maharusi
マハルシ

それでいいのです

真理はただひとつ
それが真我です

それ以外のすべても真我であり
真我によって真我の中に現れる
現象でしかないのです

知覚するには感覚器官が必要ですし
心も必要となります
だとすればなぜ透視能力や透聴能力に
魅了されなければならないのでしょうか?

そのうえ獲得されたものは
やがては失われてしまいます

永久的なものはただ実在だけであり
それが真我です

「私は在る」は「私ー在る」です
「それ」が永久的かつ基本的な実在です

この真理は神によって
「私は私で在るものである」
「静かに在りなさい、そして私は神だと知りなさい」
とモーゼに説かれました、それゆえ
「私ー在る」は神なのです。
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