聖者の言葉(真理を示す)

マハルシ、マハラジ、パパジ、仏陀、イエス、、、たったひとつの真理を多様な表現で語る聖者たちの言葉を抜粋しました。(一部簡約)

「私」とは誰か?

質問者
私たちは自分の人格に執着しています
ほかの人とは違った個性に価値を与えます
あなたはそのどちらも
無駄なものとして非難しています
あなたの非顕現が私たちにとって
何になるというのでしょうか?

maharaji
マハラジ

非顕現、顕現、個性、人格
これらすべてはただの言葉
見解、精神的姿勢にすぎない

これらに実在性はない
実在は静寂のなかで経験される

あなたは人格に固執する
しかし個人としての存在を意識するのは
あなたが困難な状態にあるときだけだ

困難に直面していないとき
あなたは自分のことを考えてはいない。
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質問者
まだあなたはときどき怒るのですね?

maharaji
マハラジ

誰に対して、何のために
私が怒らなければならないのか?

怒りはやってきて
自己想起とともに消え去った

それはみなただのグナ(宇宙的特質)
の戯れにすぎない

それらと自己同一化すれば
私はそれらの奴隷となる

距離をおいて在れば
私がそれらの主人なのだ。
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maharaji
マハラジ

無としてあることで私はすべてなのだ
すべては私であり、すべては私のものだ

私の身体が動かそうと考えるだけで動くように
私が思うだけでものごとは起こる

言っておくが私は何もするわけではない
ただものごとが起こるのを見るだけだ

質問者
あなたが起こるように望んでから
ものごとが起こるのでしょうか?
それともそれらが起こってからあなたは
そう起こることを望まれるのでしょうか?

マハラジ
それは両方だ
私は受け入れ、そして受け入れられるのだ

私がすべてであり
すべては私なのだ

世界であるゆえに私は世界を恐れない
すべてとしてありながら
何を恐れるというのだろう?

私は恐れない
なぜなら私は無であり
恐れや危険を体験しようがないからだ

私には名前も形もない
名前と形に固執することが恐れを生むのだ

私には執着がない
私は無だ
そして無は無を恐れない

反対にすべてが無を恐れている

なぜなら何かが無に触れたとき
それは無となるからだ
底なしの井戸のように
何であれそこに落ちたものは
消え去るのだ。
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質問者
神とマハートマはひとつだと言いますが
何らかの違いがあるはずです


maharaji
マハラジ

神はすべてを為す者であり
ジニャーニは無為の人だ

神自身が「私がすべてを為す」
とは言いはしない
神にとっては、ものごとは
それ自体の本性にしたがって起こるのだ

ジニャーニにとっては
すべては神によって為される
彼は神と自然の間に何の違いも見ない

神もジニャーニもともに
彼ら自身が変動のなかの不動の中心であり
移り変わるものの永遠の観照者であることを
知っている

その中心は空なる点であり
観照者は純粋な気づきの点だ

彼らは彼ら自身が無であることを
知っている

それゆえ彼らに抵抗できるものは
何ひとつないのだ。
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質問者
なぜ私たちはそうしてしまうのでしょうか?

maharaji

マハラジ

あなたのマインドがある構造を投影し
それと自己同一化するからだ

欲望の本性とは、それを満たすために
マインドが世界をつくり出すよう促すことだ

小さな欲望でさえ、長い行動の連鎖を生み出すのだ
強い欲望ならばどうだろう?

欲望は宇宙をも生みだす
その力は奇跡的なものだ

小さなマッチ棒が巨大な森林に
火をつけることができるように
欲望も現象の現れに火をつける
創造の目的自体が欲望を満たすことなのだ

あなたが助けたい人々だが
彼らもまた欲望を満たすために
それぞれの世界のなかにいる

彼らの欲望を通して以外
彼らを助けることはできない

あなたには彼らが正しい欲望を
もつように教えることができるだけだ

そうすれば彼らは現状を超え
快楽と苦痛の住処である欲望の世界を創造し
再創造しようという衝動から
自由になれるかもしれない。
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